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福岡高等裁判所 昭和46年(ネ)626号 判決

控訴人

北九州市

右代表者病院事業管理者北九州市病院局長

河野益武

右訴訟代理人

松永初平

外三名

右指定代理人

徳永嘉雄

外四名

被控訴人

甲野花子(仮名)

右訴訟代理人弁護士

坂元洋太郎

外一名

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一門司病院が昭和三六年六月二一日当時旧門司市立病院であつたが、昭和三八年二月一〇日のいわゆる五市合併による北九州市発足に伴ない北九州市立門司病院となつて北九州市長所轄のもとに運営され、さらに昭和四二年一一月一日控訴人の病院事業が地方公営企業法の全面適用を受けることとなつて北九州市病院局発足の結果、控訴人の病院局長の管理下におかれるようになり、従前の権利関係を引き継いで現在に至つていること、被控訴人が昭和三六年六月二一日門司病院の前身たる旧門司市立病院の助産および看護業務に従事する嘱託員として当時の門司市との間に雇傭契約を締結し、以来昭和四三年三月三一日まで右雇傭契約が継続され、旧門司市立病院および門司病院において右業務に従事してきたことは当事者間に争いがない。

被控訴人が右のように嘱託員として任用されてきたことをさらに仔細に検討すると、〈証拠略〉によれば、被控訴人に対して、(1)昭和三六年六月二一日付をもつて門司市長職務代理者門司市助役角銅利生から「門司市民病院の助産および看護業務を昭和三七年三月三一日まで嘱託する。月額報酬二万六〇〇〇円を給する。」との辞命(乙第二号証)が、(2)次いで、同年四月一日付をもつて門司市長柳田桃太朗から嘱託期間を翌三八年三月三一日までとするほかは右同旨の辞令(乙第三号証)が、(3)同年四月一日付をもつて北九州市長吉田法晴から嘱託期間を同年九月三〇日までとし、報酬月額二万七九〇〇円とするほかは前記同旨の辞令(乙第四号証)が、(4)同年一〇月一日付をもつて同市長から嘱託期間を翌三九年三月三一日までとするほかは前記同旨の辞令(乙第五号証)が、(5)同年四月一日付をもつて北九州市長職務代理者北九州市助役百田正弘から嘱託期間を翌四〇年三月三一日までとするほかは前記同旨の辞令(乙第六号証)が、(6)同年四月一日付をもつて北九州市長吉田法晴から嘱託期間を同年九月三〇日までとし、報酬月額三万二一〇〇円とするほかは前記同旨の辞令(乙第七号証)が、(7)同年一〇月一日付をもつて同市長から門司病院における助産業務を翌四一年三月三一日まで委嘱し、報酬月額は右同額とする旨の辞令(乙第八号証)が、(8)同年四月一日付をもつて同市長から嘱託期間を翌四二年三月三一日までとするほかは右同旨の辞令(乙第九号証)がそれぞれ発せられた後、(9)同年四月一日付をもつて北九州市長谷伍平から「門司病院における助産業務を昭和四三年三月三一日まで委嘱する。報酬月額三万八〇〇〇円を給する。」との辞令(乙第一〇号証)が発せられたこと、そして昭和四三年二月二七日付をもつて控訴人の病院局長柴田啓次から「本市病院事業は財政再建計画に基づいて運営されることとなつたので、あなたとの委嘱契約は昭和四三年三月三一日付の期間満了をもつて終了いたすことを通知します。」旨記載された「委嘱契約の終了について」と題する書面(乙第一三号証)が出されたことを認めることができる。

そして、右事実に被控訴人が年令三五歳を越えていたため非常勤嘱託員として採用されたこと、昭和三六年以降昭和四三年三月三一日まで門司病院の助産婦として勤務してきたことは当事者間に争いなく、〈証拠略〉を綜合すると、被控訴人は昭和一五年ごろから北九州市小倉区で助産院を開業していたが、昭和三五年ごろから助産婦として就職できるところを探し、尾山みよ子にもその斡旋を頼んでいたところ、昭和三六年二、三月ごろたまたま尾山方で門司病院総婦長市丸マツエと出会つたのを機会に、同婦長にも同病院への就職斡旋を依頼したこと、当時門司病院では助産婦が不足しさらに退職予定者もあつて、早急に欠員を補充しなければならない状態にあつたため、九州大学等を通じ、あるいは新聞公募を行つたが若い助産婦の応募者がなく、補充の見込みを立つていなかつたこと、そこで市丸総婦長から被控訴人を採用することについて相談を受けた門司病院事務部長矢口親正は、助産および看護業務が恒常的な職務であるから、本来正式任用による職員をもつてこれに従事させるべきであるが、当時門司市における看護婦助産婦の採用基準として年令三五歳以下(あるいは未満)と定められていたので、被控訴人(大正四年一〇月九日生)が右基準に該当していないとして、当初その採用ができないと拒絶したものの、さりとて助産婦欠員のまま放置することは同病院の運営上支障を来すうえ、他に適任者も見当らないため、臨時的任用によることも検討されたが、これは期間も短いうえ、更新も制限されているので適当でないということになり、結局旧門司市当局と交渉の結果、被控訴人を嘱託員(特別職)として採用することとなつたこと、被控訴人を嘱託員として採用した場合には、期末手当に相当する額の支給があるとはいえ嘱託期間中の昇給がないのは勿論、一般職に支給される暫定手当や超過勤務手当等も支給されず、また退職手当も支給されないので、嘱託員に対する報酬としては、本俸相当額二万三〇〇円のほかに、暫定手当相当額二四三〇円、推定される超過勤務手当相当額三二七〇円を織り込んで、その合計額に相当する二万六〇〇〇円を報酬とすることとしたが、これは門司病院に勤務する他の助産婦に比較して寡額ではなかつたこと、しかし、勤務としては同病院勤務の看護婦助産婦と同様に同病院附属の看護婦宿舎に居住して三交替勤務体制に組み込まれること、矢口事務部長は右の諸条件を被控訴人に提示した結果、被控訴人もまたこれに異存なく同意したので昭和三六年六月二一日前記の如く被控訴人に嘱託員を委嘱したこと、爾来被控訴人は嘱託期間の満了の度に前記の如く嘱託員の委嘱を受けながら、同病院産婦人科に配属されて昭和四一年一〇月まで病棟勤務(三交替制)、次いで産婦人科外来勤務、昭和四二年一〇月から全科手術場勤務に配置されたこと(手術場勤務になつた事実は当事者間に争いがない。)、ところで、控訴人の病院事業は結核療養所を含めて七院あり、膨大な赤字が累積していたので、前記のように地公企法の適用を受けるとともに、財政再建計画を樹てそのひとつとして診療の充実を目的として、療養部門の人的充実が図られたこと、この方針は医師看護婦等の増員のみならず臨時的任用による職員あるいは嘱託員もできる限り正式任用の職員をもつてあてることも含まれていたこと、そこで助産婦については昭和四三年一月および二月に採用基準として制限年令を四五歳以下に緩和して公募し、試験あるいは選考を施行した結果、同年四月一日以降十数名の助産婦を職員として採用することになつたこと、これを門司病院について見れば、同日以前助産婦七名が配置されていて、このうち正式任用による職員五名、臨時的任用による職員一名のほかは嘱託員たる被控訴人であつたが、同日以降は新たに採用された職員三名(うち一名は右臨時的任用によるものが正式任用)が加わつたため、被控訴人の嘱託期間満了後は正式任用の職員だけで八名の充員となつたこと(結局新たに二名採用した事実は当事者間に争いがない。)を認めることができる。

右事実をもとに考えるとき、被控訴人の雇用形態は、それぞれ被控訴人の同意のもとに各辞令(乙第二ないし第一〇号証)の発令年月日付をもつてその記載の期間に限られる嘱託員であつて、非常勤というのは名目に過ぎず、実質的には常勤であつたといわなければならない。かかる形態は看護婦あるいは助産婦が不足していた状態で、これを欠員のまま放置することができないことから、正式任用による職員によつて充足されるまでの暫定的措置として、年令の点において正式任用されるべき資格のない者を嘱託員に委嘱してこれに充てたものというべきである。

被控訴人の主張がいかなる時点での雇傭関係の成立をいうのか必ずしも明らかではないが、これを昭和三六年六月二一日付の委嘱をいうものとすれば、これはすでに昭和三七年三月三一日の経過によつて終了し、翌四月一日あらためて委嘱を受けており、またこれを最後の昭和四二年四月一日付の委嘱をいうものとすれば、これは昭和四三年三月三一日の経過によつて終了したものというべきである。

二被控訴人はその雇傭契約の実態が期間の定めのないものであつたと主張するが、前示の如く被控訴人は実質的には常勤であつて、正式任用による職員とともに三交替体制に組み込まれて勤務したというだけであり、かかる勤務の実態から雇傭契約そのものを期間の定めのないものと見ることはできない。

また、〈証拠略〉中被控訴人が昭和三六年六月二一日の委嘱時に同病院衛藤副院長、市丸総婦長、矢口事務部長から嘱託員というのは形式で、実質は一般職として採用されたと言われた旨の部分がある。しかし、これらはいずれも被控訴人からの伝聞に過ぎず、この信憑性は被控訴本人の供述のそれによるというべきところ、原審における被控訴本人尋問の結果中右主張事実に副う部分は前示採用経過の事実に照らして容易に措信できない。〈証拠略〉中同病院当局者が北九州市職連役員との団体交渉の席上右主張に副う発言をしたかの如き部分があるが、右証拠によれば、組合の右主張に副うかの如き発言について右当局者らが反論しなかつたというにとどまり、かかる曖昧な言動をもつてこれを肯認すべき資料となしがたい。

さらに、被控訴人が前示のように委嘱を繰り返して受けてきたからといつて、このことが直ちに期間の定めのないものに転化すると考えることはできない。(勤務の実態から、特別職たる被控訴人に対して地方公務員法上一般職に準じた取扱いが認められるとしても、正式任用による職員と同等に期間の定めのないものとして取り扱うことは、かえつて同法第一五条ないし第二一条、あるいは同法第二一条第六項の規定を潜脱するものとして、許されないところである。)

三被控訴人は、昭和三六年六月二一日旧門司市との間に被控訴人が解嘱の申し出をしない限り雇傭契約が存続する旨の特約がなされたと主張するが、これを認むべき証拠は何もない。

四さらに、被控訴人は、控訴人の更新拒否の意思表示が不当労働行為であると主張する。すでに説示のとおり、被控訴人と控訴人間の嘱託関係はその期間の満了により終了したものであつて昭和四三年二月二七日付の通知(乙第一三号証)によつて終了したものでもなく、また右嘱託関係が当然更新されるべきものでもない以上、被控訴人の主張はその前提を欠くものであつて、到底採用の余地はない。

五してみれば、被控訴人の本訴請求はこれを棄却すべきところこれと異る判断をした原判決は不当であつて取消を免れない。よつて、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条、第八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(池畑祐治 生田謙二 富田郁郎)

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